演劇『南へ』 14年ぶりに観た野田秀樹の芝居は、「老舗のラーメン屋に久しぶりに入ったら、いつの間にか味が変わっていた」という印象だった
最後に野田秀樹の芝居を観たのはいつだろうと思いだしてみたのだが、97年の『キル』が最後だった。私にとっては14年ぶりに野田秀樹の芝居を観ることになる。
場所は、池袋の東京芸術劇場(中ホール)。あのIWGP(池袋西口公園)から劇場を望む。池袋も久しぶりだったのだが、なんとなく閑散とした感じなのが意外だった(なんとなく品も良くなっているような気もする)。
場所は、池袋の東京芸術劇場(中ホール)。あのIWGP(池袋西口公園)から劇場を望む。池袋も久しぶりだったのだが、なんとなく閑散とした感じなのが意外だった(なんとなく品も良くなっているような気もする)。
東京芸術劇場(中ホール)も初めて。2階席が馬蹄型(U字型)なので、2階席でも舞台が近くて観やすい。A席常連の私には嬉しい劇場だ。
さて、芝居である。野田秀樹の芝居への私の期待は、一言で言えば、「言葉遊びの洪水」である。意味のない言葉遊びや語呂合わせが深い意味を持っていたり持っていなかったり、そういう混沌とした言葉の洪水が、私の思考能力をはるかに超えて押し寄せてくるのが、私にとっての野田秀樹の芝居の楽しみであった。
しかし、14年ぶりに観た野田秀樹の芝居は、そうではなかった。かって私が感じた「言葉遊びの洪水」は全くなりを潜めてしまった。「北から来た」という今どき昭和のオヤジでも言わないような台詞を言われても、白けるだけである。
その代わりに面白かったのが、小道具として使われていた「パイプ椅子」と「地味な衣装」である。「パイプ椅子」が並び替えられたり組み立てられたりして、パイプ椅子がテレビになったり、花道になったり、マスゲームのように変化する。記者会見上として整然と並び替えられたときにはビックリした。もうひとつが「衣装」である。芝居の途中で時代がいきなり江戸時代になるのだけれど、同じ衣装でなんの違和感もない。最後には国民服にもなる。面白かった。
主演の妻夫木聡も蒼井優もどちからといえば映画俳優という印象があるのだが、舞台もちゃんとできるのだね。特に蒼井優はショートカット(鬘)のせいもあるだろうが、雰囲気がガラリと違っていた。ほかに注目は道理役のチョウソウハ。この役者さんは後半バクハツします。リトル野田秀樹と呼びたいくらい、若き日の野田秀樹を彷彿させるように舞台を躍動する。
物語は、火山の観測書に赴任してきた若者(妻夫木聡)とウソツキ少女(蒼井優)を軸に展開する。”火山が大噴火する”という噂に踊り、踊らされる日本人たち。火山の噴火はいつ起こるかわからないが、起こらないとも言えばい、避けることの危機である。それが不可避な危機であるならば、大切なのは「噴火するかしないか」ではなく、「噴火したときにどうするか」のはずなのに、「噴火するかしないか」におおわらわする日本人たち。そして、それが大災害になることはわかっているはずなのに何も起こらないことより何かが起こることにわくわくしてしまう。オオカミが来るぞ、来るぞと言い続けることを楽しむかのように。そして、そうしているうちに、それが起こってしまったときに何をどうすべきか、という”備え”を忘れてしまっている。
「この国の歴史は天皇詐欺の歴史だ」「天皇を崇拝する者が一番天皇を蔑ろにする」。これは正鵠を射ているこの国の歴史観だ。しかし、これは野田秀樹が恐らく敬愛している坂口安吾の歴史観の焼き回しである。日本の歴史は天皇を絶えず利用してきた歴史である。それは藤原不比等の時代に始まった。「日本書紀」にウソの天皇家の歴史を作り、娘を天皇家に贈ることにより外戚として政治の実権を握り続けた藤原家に始まり、源氏も足利も徳川も薩長も軍部も天皇家に従うふりをしながら天皇家を利用して実権を握ってきた。軍部が始めた戦争を天皇は追認するしかなかっただろうし、国民の誰もがあの馬鹿げた戦争を止めたかったはずなのに、天皇陛下が止めようとおっしゃったから耐えがたきを耐え忍びがたきを忍びもう戦争を止めましょうと言う。嘘をつけ、嘘をつけ、嘘をつけ(@坂口安吾)。詐欺というより欺瞞に満ちた政治、それが日本の歴史である。
「日本人よ、目を覚ませ」。しかし、目を覚ましてどこまで戻れば良いのか。この欺瞞に満ちたこの国の歴史を全否定しようとすれば、それは藤原不比等より前の時代にこの国は戻らなければならない。飛ぶ鳥の飛鳥の時代へ。しかし、そんなことはできないのである。大切なのはこの国の歴史がそういう欺瞞に満ちたものであることを踏まえながら、これからどうしていくか、である。日本人が日本人である歴史を捨ててまったく新しい日本人になることなどできないのである。ひとはそんなに便利になれるわけないのだし、人性はそんなに簡単に変えることはできないのである。
「言葉遊びの洪水」は去り、マスゲーム的な面白味はあるものの、後半は天皇、天皇と五月蠅すぎる。野田秀樹の歴史観と日本人批判、そこに北の国のことも入ってきて、政治的な芝居のようで、私はあまり楽しめなかった。14年ぶりに観た野田秀樹の芝居は、「老舗のラーメン屋に久しぶりに入ったら、いつの間にか味が変わっていた」という印象だった。
これから観るひとに、ひとこと。ラストシーン、観客は意味のないテレビの画面に目を奪われがちだが、本当に観てほしいのは舞台から去っていく妻夫木聡の姿である。彼はまさにこれから「南へ」旅立つように舞台から去っていく。その姿が最後に印象に残った。
0コメント